福の神「仙臺四郎(せんだいしろう)」を祀られている三瀧山不動院(みたきさんふどういん)|宮城県仙台市|2019年夏
福の神「仙臺四郎(せんだいしろう)」
明治時代実在の人物 福の神 仙臺四郎
時は明治、「笑う門には福来る」・・・そんな諺通りに笑顔をたやさず商売繁盛を招く一人の男がいた。
その名も「仙臺四郎(せんだいしろう)」。
少し知恵遅れであったことから、”四郎馬鹿(シロバカ)”と呼ばれていたが、当時の人々は四郎の単純な心と笑顔を愛し、大切にもてなしたと言われています。
四郎を慕って集まる子供たちは丈夫に育ち、彼の立ち寄った店は千客万来であった・・・そのような言い伝えから、仙台の旧家や老舗等には”福の神 仙臺四郎”の写真が飾られてあります。
もちろん四郎の写真にただ手を合わせるだけでは成就はなしえません。
笑顔と感謝を忘れず、努力を積み重ねることが商売繁盛、家内安全、学業や無病等の開運招福と言われています。
お不動さま「三瀧山不動院(みたきさんふどういん)」に祀られている仙臺四郎
仙臺四郎(せんだいしろう)
江戸末期から明治35年頃に仙台に実在した人物で、生家は鉄砲職人だったようです。
彼は言葉をほとんど話せず「四郎馬鹿(シロバカ)」と呼ばれ、毎日、町を徘徊していました。
所が、彼がふらりと立ち寄る店は必ず繁盛し、彼が抱く子供は丈夫に育つということから、当時から大変な人気物だったようです。
このような伝説から、現在でも仙台の福の神として多くの人に愛され、四郎さんの「お姿」を家庭で飾りますと霊験があらたかなりという信仰があります。
お飾りの方法は、ご家庭では辰巳の方向(東南)に福の神さまを向けて飾ります。
お店にお飾りする時は、入口の方に向けまして、お客さまを迎えるように飾ります。
(出典元:仙臺四郎安置の寺「三瀧山不動院」より)
仙臺四郎(せんだいしろう)
知的障害があり会話能力は低かったが、明治期に「四郎自身が選んで訪れる店は繁盛する」との迷信が南東北のマスメディアを巻き込んで流布し、売上増を企図する店舗等が四郎の気を引こうと厚遇した。
没後の大正期に入ると、仙台市内のある写真館が「四郎の写真を飾れば商売繁盛のご利益がある」と謳って写真販売を始めた。商売繁盛のご利益は、存命中においては四郎の意志に依拠したが、写真による偶像化以降、(死没した)四郎の意志とは無関係になり、グッズを購買すればご利益が得られると転換された。
すると1920年(大正9年)からの戦後恐慌以降、繰り返し発生する不景気において四郎のブームが度々発生し、商業神の稲荷神やえびす、あるいは、土着の松川だるまを凌駕して仙台で信仰され、さらには全国的に知られる福の神として定着した。
現状では民間信仰において神として崇められる一方、神であるか不明なキャラクター化も進んでおり、四郎が神と人との間で揺れ動く人神となっている。すなわち、神としてのグッズ展開がある一方で、仙台市都心部の密教系仏教寺院ではキリスト教におけるサンタクロース姿にさせて飾ったり、仙台初売りや一般企業の広告ではキャラクターとして使用されたり、四郎の風貌やエピソードを設定として用いて、芝居の興行をする俳優、コントをするお笑い芸人、芸能活動をするローカルタレントが現れたりしている。
(出典元:Wikipedia)
お不動さま「三瀧山不動院(みたきさんふどういん)」
商店街の中心地に鎮座。
ご本尊は大日大聖不動明王であり、三瀧山不動尊と呼ばれています。
大日如来の使いとして仏法の守護にあたる仏さまで、酉年生まれの守り本尊であり、眼の守護仏でもあります。
商売繁盛・家内安全を御祈願する加持祈祷専門(病気・災難などを祓うために行う祈祷)の寺院 です。
寺院入口
クリスロード商店街
三瀧山不動院(みたきさんふどういん)
御朱印(ごしゅいん)
手水鉢(ちょうずばち)
仏前で口をすすぎ、身を清めるための水を確保するための器です。
参道
長さ約10メートル、両サイドにお土産屋さん
お土産品
仙臺四郎の招福グッズなど多数あります。
アクセス
仙台駅・西口から 徒歩10分程です。
クリスロード商店街(アーケード街)
JR仙台駅 西口
まとめ
暑中お見舞い申し上げます。
本日(7/29㊊)は梅雨明け後の猛暑になりましたが、お変わりございませんか。
現在、少し早目の夏休みを頂き小旅行中です。
本日は小旅行中の出来事をご案内しています。
最後までご覧くださいましてありがとうございました。
次回もよろしくです。