世界遺産検定2級合格の練習問題&解説【日本の世界文化遺産 ⑫|平泉】
こちらでは、NPO法人世界遺産アカデミーの「世界遺産検定2級」の合格60点に向けて、「日本の世界遺産」について練習問題と解説で必要な情報を紹介していますので、ご活用頂ければ幸いです。(※練習問題は過去問題を参考に作成しています。)
世界遺産検定2級合格ー日本の世界文化遺産 ⑫:平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-
▶ 登録の概要
・ 登録年:2011年、登録基準:(ⅱ)・(ⅵ)、地域:岩手県
平泉は、11 世紀に東北地方の太平洋側を支配した藤原 清衡(ふじわら きよひら)が、浄土思想に基づいて築いた理想郷です。
構成資産は、金色堂(こんじきどう)のある中尊寺(ちゅうそんじ)、毛越寺(もうつうじ)、観自在王院(かんじざいおういん)、無量光院(むりょうこういん)の4つの寺院と、金鶏山(きんけいざい)を含む5つの資産で構成されています。
11世紀末、本州最北端の陸奥、及び出羽国を統治していた豪族の藤原清衡は、平泉を政治・行政の拠点と定め、新たな都市開発に着手。この当時、奥州の主要な産出品であった金などの財力を背景に、「浄土思想」の宇宙観に基づく「現世の仏国土(浄土)」の実現を目指したのが特徴です。
8~12世紀に広く普及していた浄土思想は、「死後に仏国土(浄土)に行くことで成仏できる」という考え方です。
日本の世界文化遺産⑫の練習問題
1⃣ 『平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及ぼ考古学的遺産群-』に関して、これらが築かれた奥州の説明として、正しくないものはどれか。
【難易度:中】
2⃣ 『平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及ぼ考古学的遺産群-』に関する次の文中の語句で、正しくないものはどれか。
平泉の地に極楽浄土を創り上げるという奥州藤原氏の思想は、11~12世紀にかけて代々の当主に受け継がれた。初代(①藤原清衡)が再興した中尊寺にある金色堂や2代(②藤原基衡)により造営された毛越寺の庭園は、仏国土を表現したものであり浄土思想を直接的に反映している。3代(③藤原秀衡)が築いた(④観自在王院)には、京都の平等院鳳凰堂を模した阿弥陀堂が建立された。
【難易度:中】
3⃣ 『平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及ぼ考古学的遺産群-』に関し、12世紀中頃に2代藤原基衡が造営した寺院で、国内最大級の浄土庭園をもつものとして、正しいものはどれか。
【難易度:中】
練習問題の解説
▶ 構成資産の概要
◆ 中尊寺(ちゅうそんじ)
・ 850年比叡山延暦寺の高僧慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)によって開山。
・ 奥州藤原氏の初代清衡(きよひら)が1105年に大規模な造営に着手。
・ 1124年に清衡によって金色堂(こんじきどう)が完成。阿弥陀如来の仏国土(浄土)を表す方三間(ほうさんげん)の仏堂建築。
・ 金色堂の須弥壇(しゅみだん)には藤原3代の遺体と4代泰衡の首級が納められている。(須弥壇:仏教寺院で本尊を安置する場所、仏像等を安置する一段高い場所)
(中尊寺金色堂覆堂:奥州藤原氏の巨大な富を象徴する金色堂は、雨風から守るため覆堂内にある)
◆ 毛越寺(もうつうじ)
・ 中尊寺と同じく850年高僧量慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)によって開山されたと伝えられてる。
・ 2代基衡(もとひら)が造営に着手し、3代秀衡(ひでひら)の時代に完成。
(毛越寺の庭園:平安時代に書かれた日本最古の造園マニュアル「作庭記」の庭園)
◆ 観自在王院跡(かんじざいおういんあと)
・ 2代基衡(もとひら)の妻によって建立された寺院。
◆ 無量光院跡(むりょうこういんあと)
・ 3代秀衡(ひでひら)が12世紀後半に建立した寺院。
・ 宇治の平等院阿弥陀堂(鳳凰堂)を模して、ひと回り大きく造られたが、建物は焼失。無量光院は現世における西方極楽浄土の観想を目的として造られました。
◆ 金鶏山(きんけいざい)
・ 平泉中心部の西に位置する標高98.6mの小丘。
・ 仏国土(浄土)を空間的に表現する際には重要な役割を担っていた。
・ 山頂には経塚(きょうづか)が築かれた。(経塚:経典を土中に埋納した塚)
▶ 4代藤原泰衡(やすひら)
金の財力を背景に、朝廷などに貢物を献上していたので、奥州藤原氏による奥州支配が容認されていたが、1187年、鎌倉幕府を開いた源頼朝の弟である源義経が、兄の追討を逃れて3代秀衡(ひでひら)のもとに身を寄せ、かくまったとして状況が一変。1189年、源頼朝からの引き渡し要求を拒み続けたことを口実に攻め込まれます。4代泰衡は、頼朝の力を恐れ、義経を襲撃し自害へ追い込んで、その首を引き渡したものの時すでに遅し、28万余りの軍勢を率いて攻め寄せる頼朝に惨敗。同年、家臣の造反によって殺害され、奥州藤原氏は滅亡しました。
▶ 中尊寺建立 供養願文
11世紀末に本拠を平泉に移した欧州藤原氏の初代清衡は、長治2年(1105年)より中尊寺の造営に着手し、天治3年(1126年)に主要な堂塔を完成させました。その際、清衡は大法要を営み、「東北地方で続いた戦乱(前九年・後三年合戦)で亡くなった生きとし生けるものの霊を敵味方の別なく慰め、浄土に導き、『みちのく』といわれ辺境とされた東北地方に、仏国土(仏の教えによる平和な理想社会)を建設したい」という趣旨の願文を読み上げたと伝えられています。
(引用先:http://www2.pref.iwate.jp/~sekaiisan/ganmon.html)
▶ 末法思想(まっぽうしそう)
釈迦が説いた正しい教えが衰退することを説いた仏教の予言が末法思想です。
正しい教えが世で行われ修行して悟る人がいる時代が正法(しょうほう)が過ぎると、正しい教えが行われても外見だけが修行者に似るだけで悟る人がいない時代が像法(ぞうほう)が来て、その次は人も世も最悪となり正法がまったく行われない時代の末法(まっぽう)が来るとする歴史観のことです。
紀元前5世紀頃に釈迦が入滅し、釈迦の死後1500年後(あるいは2000年後)に「末法の世」になるという考えがあり、末法の世になれば、争いばかりを起こして邪見がはびこり、仏教が衰えて世の中が乱れるという教えです。
日本では、平安時代末期が丁度その時期に当たり、平安時代末期から鎌倉時代にかけて流行しました。
そんな世相を背景に、貴族も庶民もその「末法の世」の到来に怯(おび)え、浄土信仰・浄土思想の広まりとともに、貴族たちは阿弥陀如来(あみだにょらい)を本尊(ほんぞん)とする仏堂(阿弥陀堂)を建立したのです。
▶ 浄土思想(じょうどしそう)
阿弥陀如来を信仰し、西方(さいほう)極楽浄土に往生(おうじょう)することを目指す思想です。
平安末期の末法思想の流行や、それを裏付けるかのように相次いだ戦乱と相俟って、人々の間に浸透していった。特に平安末期の有力者たちへの浸透は、多数の来迎図(らいごうず)の作成や阿弥陀堂の建立、浄土式庭園の作庭などに結びついた。浄土式庭園は、建造物群、池、橋などが織りなす景観を浄土と関連付け、その存在を視覚的・体感的に認識させようとする営為(えいい)である。
奥州藤原氏の初代清衡も仏教に深く傾倒して、相次ぐ戦乱の犠牲者たちが敵味方の区分なく浄土に往生できるように中尊寺を1105年に建立し、3代秀衡は無量光院を建立し、浄土教が中心的地位を占めるようになります。建立の過程で浄土思想と深く結びつく建造物や庭園群が建立されるとともに、平泉は仏教色の強い大都市として整備されました。
▶ 関連記事の紹介
終わり
世界遺産は、過去から現在へと引き継がれてきたかけがいのない人類共通の財産です。そんな世界遺産を未来へ引き継ぐために、世界遺産を学び理解を深めたいものです。
近年、世界遺産を巡る旅が注目される中、世界遺産の知識があれば旅の楽しみも倍増です。
2020年にNPO法人世界遺産アカデミーの「世界遺産検定2級」を受験し一発合格しました。次は1級受験を目指し、その対策をブログで紹介して行きます。
初めに2級試験対策の振り返りながら、1級試験対策を掲載予定です。
市販の過去問題やテキストなどを参考に練習問題を作成していますので、高得点や合格確実を目指している方は、他のサイトなども合わせて参考にされることをお勧めします。
また、世界遺産にご興味を持って頂けるような記事も書いて行きますので、ご関心がありましたら、ご一緒に取り組んで頂けると嬉しいです。
最後までご覧くださいましてありがとうございました。
次回もよろしくです。
▶ 学習に便利な書籍紹介
▶世界遺産検定2級の出題割合(問題数60問、試験時間60分間)
・基礎知識:20% ・日本の世界遺産(23件):25% ・世界の文化遺産:35% ・世界の自然遺産 ・時事ネタ:10% (※世界の文化・自然遺産の出題範囲は300件が対象です)
初めに基礎知識と日本の世界遺産23件を着実に習得して、時事ネタ(試験6ゕ月前からの新聞・ニュースなど参照)も合わせながら、全体の55%を獲得できる知識を身に着けることで、確実に合格圏内に近づきます。頑張れば1ゕ月程で試験対策ができます。