日本初のビアホールといえば?【1分間スピーチ|雑学ネタ帳292】
【1分間(300字)で話せるおすすめの雑学ネタの紹介です。】
1899年8月「恵比寿ビール BEER HALL」です。
ビアホール発祥には諸説ありますが、ビアホール(ビヤホール)の名前が登場したのは、1899(明治32)年8月4日、日本麦酒醸造株式会社(現在のサッポロビール)が現在の東京・銀座8丁目にオープンした「恵比寿ビール BEER HALL(ビヤホール)」です。
これを記念して、サッポロビールが8月4日は「ビヤホールの日」と1999年に制定しました。
開業時の新聞広告によれば、0.5Lで10銭、0.25Lで5銭という値段です。
ビヤホールは、煉瓦造りのビルの2階にオープン、椅子やテーブルはビール樽の樽材という造り、ガラス製のジョッキでビールが提供されました。
店名を選ぶ際、宣教師の意見で「ビヤサロン」と一旦は決定しますが、あるイギリス人から「ホール」のほうがよいとのアドバイスで、「ビヤホール」となります。
宣教師は、上品なサロンをイメージして「ビヤサロン」を提案しますが、横浜あたりでは「サロン」といえばいかがわしい場所。あるイギリスから店名には相応しくないので、「ホール」のほうがよいとのアドバイスで、「ビヤホール」に決まりました。
日本にビール産業が誕生して150年間、これからも美味しいビールを楽しみたいものです。
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関連記事の紹介
▶ 日本ビール産業の誕生
日本にビールが入ってきたのは英米の船が来航してからのことです。
万延元年・186年、幕府の第一回遣米使節の一人、玉虫左太夫は初めてビールを飲んで「苦味ナレドモ口ヲ湿スニ足ル」と書いています。それ以前、ペリーが来航した嘉永6年(1853)に、蘭方医川本幸民は蘭書の記載を見て、江戸の露月町の私宅でビールを試醸したといわれていますから、これが日本でのビール醸造の起源といえます。
1870年、ノルウェー生まれのアメリカ人「ウイリアム・コープランド」が、横浜の山手居留地でビール醸造所「スプリングバレーブルワリー」を設立し、1872(明治3)年に主に居留外人向けに販売しました。
1874(明治5)年に大阪で渋谷庄三郎が日本人では初めてビールの醸造・販売を本格的に開始、翌6年には甲府で野口正章が、そして9年には札幌で北海道開拓使麦酒醸造所が創設され、中川清兵衛を中心に醸造を開始、翌10年には東京に出荷しています。
▶ ビアホールに関わる歴史
1870年、横浜の山手居留地でビール醸造所「スプリングバレーブルワリー」(現キリンビール)を設立し、1872(明治3)年に主に居留外人と外国船の船員向けに販売しました。ビアガーデンも併設されていました。
1895(明治28)年夏、大阪麦酒会社(現アサヒビール)によって大阪で臨時営業の一杯売り「ビール会」が開かれました。ビール会は大変好評を博したため、大阪麦酒は同じ中之島で1897(明治30)年7月に冷たいビールと洋食を提供する常設店「アサヒ軒」を開業します。
museum.kirinholdings.com
www.ginzalion.jp
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まとめ
会社や集会などでスピーチに困ったことはありませんか?
人前で話すことが苦手な人に、1分間(300字)で話せるおすすめの雑学ネタを紹介しています。
1分間に話す文字数の目安は300字と言われています。スピーチが不慣れな人は、300字よりも少なめの文字数で準備し、落ち着いて少しゆっくり目に話されることをお勧めします。3分間スピーチの場合は、その約3倍の900字が目安になります。よろしかったらご参考にしてみてください。くれぐれも時間厳守でスピーチ頑張ってください。
最後までご覧くださいましてありがとうございました。
次回もよろしくです。