ドイツ伝統菓子「バウムクーヘン」、日本初出品といえば?【1分間スピーチ|雑学ネタ帳274】
【1分間(300字)で話せるおすすめの雑学ネタの紹介です。】
1919年・広島県物産陳列館(原爆ドーム)です。
1919(大正8)年3月4日から13日まで、「広島県物産陳列館(ひろしまけん ぶっさんちんれつかん)」で「似島独逸俘虜(にのしま どいつ ふりょ)技術工芸品展覧会」が開催されました。
▶ 似島独逸俘虜収容所(にのしまどいつふりょしゅうようしょ)
広島県の広島港より南に約3km、フェリーで海上20分という近距離にある島が「似島(にのしま)」です。かつて、この島には日露戦争より陸軍第二検疫所という軍事施設がありました。
その軍事施設の一角に「独逸俘虜収容所(どいつふりょしゅうようしょ)」が設けられました。
「俘虜(ふりょ)」とは、現在でいう「捕虜(ほりょ)」のことです。
1917(大正6)年、大阪収容所が移転することになり、日露戦争時の陸軍検疫所建物に、ドイツ将兵536人、オーストリア兵9人が収容されました。
似島陸軍第二検疫所に連れてこられたドイツ人の中に、バウムクーヘンを日本で初めて焼いた「カール・ユーハイム(Karl Juchheim;1886-1945)」がいました。
ユーハイムは民間人でしたが、軍籍があったことで捕虜となります。
そこにドイツ人の製作品323品目(工芸品、革製品、模型、飲食物など)が出品され、この中に日本で初めて出品されたドイツ伝統菓子「バウムクーヘン」がありました。
▶ バウムクーヘン(独語Baumkuchen)
バウムクーヘンは、小麦粉や卵などが入った生地を、幾度にも薄く焼き重ねたドイツ伝統のケーキです。中心にドーナツ状の穴があり、断面が樹木の年輪のように見える模様が特徴です。ドイツでは「お菓子の王様(Der Konig der Kuchen)」と称えられ、お祝いの席に欠かせない特別なものです。ドイツ語では、「Baum(バウム)」は「木」、「Kuchen(クーヘン)」は「ケーキ」を意味します。
バウムクーヘンを出品したのは、カール・ユーハイム(ユーハイムの創業者)です。
ユーハイムは、中国・青島で菓子・喫茶店「ユーハイム」をオープンします。
1914年、第1次世界大戦で日本軍の捕虜となり、日本に連れてこられます。
その後、1922年に横浜で店を開業するも関東大震災で全てを失います。
1923年に「ユーハイム」神戸1号店をオーブンし、そこでヒットしたのが「バウムクーヘン」です。
カール・ユーハイムは、1945年8月14日(第2次世界大戦の終戦前日)に59歳で永眠しました。
バウムクーヘンは当時「ピラミッドケーキ」と呼ばれ、1960年代に入ると「バウムクーヘン」に改められて、一般的に知られるようになります。
▶ 3月4日は「バウムクーヘンの日」
1919(大正8)年3月4日から13日まで、広島県物産陳列館(原爆ドーム)で開催されたドイツ作品展示即売会「似島獨逸俘虜技術工藝品展覧會」でドイツ伝統菓子「バウムクーヘン」が、日本で初めて出品されたことを記念して、3月4日は「バウムクーヘンの日」と認定されています。
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関連記事の紹介
▶ 広島県物産陳列館の歴史
1915(大正4)年4月5日
1919(大正8)年3月
似島獨逸俘虜技術工藝品展覧会 開催
1921(大正10)年1月
広島県立商品陳列所 改称
1933(昭和8)年11月
広島県産業奨励館 改称
1937(昭和12)年
日中戦争 始まる
満州国への販路拡大を目指し、大連、新京、ハルピンなど海外にも出張所を設ける
1941(昭和16)年
第二次世界大戦 始まる
1944(昭和19)年3月31日
広島県産業奨励館の業務停止
1945(昭和20)年8月6日 午前8時15分
米軍が投下した原爆「リトル・ボーイ」が館の南東160m、上空約600mで炸裂し、広島は壊滅する
1996(平成8)年
世界文化遺産 登録
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まとめ
会社や集会などでスピーチに困ったことはありませんか?
人前で話すことが苦手な人に、1分間(300字)で話せるおすすめの雑学ネタを紹介しています。
1分間に話す文字数の目安は300字と言われています。スピーチが不慣れな人は、300字よりも少なめの文字数で準備し、落ち着いて少しゆっくり目に話されることをお勧めします。3分間スピーチの場合は、その約3倍の900字が目安になります。よろしかったらご参考にしてみてください。くれぐれも時間厳守でスピーチ頑張ってください。
最後までご覧くださいましてありがとうございました。
次回もよろしくです。