日本最古の時計台の論争といえば?【1分間スピーチ|雑学ネタ帳275】
【1分間(300字)で話せるおすすめの雑学ネタの紹介です。】
札幌市時計台と豊岡市の辰鼓楼の論争に終止符。
明治時代にできた時計台、札幌市時計台と豊岡市の辰鼓楼(しんころう)の論争が、時計が稼働した日付が特定されたことで終止符。
国指定重要文化財・札幌市時計台は1881(明治14)年8月12日、豊岡市の辰鼓楼は同年9月8日で27日遅く国内で2番目と判明。
辰鼓楼は、1871(明治4)年に太鼓を鳴らして時を告げる太鼓櫓(たいこやぐら)として建てられました。
辰鼓楼の「辰」は「辰の刻(午前7時~9時)」を、「鼓」は「太鼓」を、そして「楼」は「楼閣・建物」を意味しています。
10年後の1881年、藩医の池口 忠恕(いけぐち ちゅうじょ)が辰鼓楼に機械式大時計を寄贈して、時計台として稼働を始めます。
論争の終止符を受け、辰鼓楼の案内では「日本最古」から「日本最古年の時計台」に改められました。
辰鼓楼が動き出した9月8日は、日本記念日協会に「いずし時の記念日」として登録されました。
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▶ 辰鼓楼といえば?
辰鼓楼(しんこうろ)は、約5メートルの高さの石垣の上に建つ、高さは約13メートルの木造4層構造です。
1871(明治4)年、太鼓を鳴らして時を知らせる楼閣(太鼓櫓)として建てられました。
辰の刻(7時から9時)の城主登城を、太鼓の音で知らせていたとも言われています。
兵庫県北部の豊岡市出石(いずし)町にあり、出石城跡の石垣の上から、長年、町の人たちを見守ってきました。
大きな機械式の時計が掲げられたのは1881(明治14)年で、国の重要文化財・札幌市時計台が動き出したのと同じ年です。
1881年、藩医の池口 忠恕(いけぐち ちゅうじょ)が大病を患った際、多くの出石町民が病気快癒の願掛けをし、回復後に忠恕は病気療養中に出石の人々から多大な精神的支援を受けたことに対して、感謝の思いを形にしたいと、私費でオランダ製の機械式の大時計を辰鼓楼に取り付けて寄贈しました。
今では3代目の時計が、出石のシンボルとして時を刻み続けています。
- 1881(明治14)年:初代オランダ製の機械式時計設置
- 1894(明治27)年:2代目の機械式時計に入れ替え
- 1976(昭和51)年:3代目の電気式時計に入れ替え
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まとめ
会社や集会などでスピーチに困ったことはありませんか?
人前で話すことが苦手な人に、1分間(300字)で話せるおすすめの雑学ネタを紹介しています。
1分間に話す文字数の目安は300字と言われています。スピーチが不慣れな人は、300字よりも少なめの文字数で準備し、落ち着いて少しゆっくり目に話されることをお勧めします。3分間スピーチの場合は、その約3倍の900字が目安になります。よろしかったらご参考にしてみてください。くれぐれも時間厳守でスピーチ頑張ってください。
最後までご覧くださいましてありがとうございました。
次回もよろしくです。