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江戸中期の文治政治といえば?【1分間スピーチ|雑学ネタ帳358】

【1分間(300字)で話せるおすすめの雑学ネタの紹介です。】  

儒教的な徳治政治です。

初代将軍・家康から3代家光までの江戸初期は、政治基盤を固めるため、厳しい大名統制を進めていました。

 

これを武断政治(ぶだんせいじ)と呼び、大名・旗本をささいな理由で、改易・減封・転封の処分にしました。

 

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改易で領地を没収され、家が取りつぶされた大名131件もあり、その家臣たちは勤め先を失い、牢人(ろうにん・路頭に迷った武士)となり、その総数は40万人にものぼったと伝えられています。

この牢人たちによるけんかや人斬りが横行し、社会が殺伐としていました。

 

1651年、3代家光が亡くなり、11歳の息子・家綱4代将軍となります。

このタイミングで幕府転覆を狙ったのが兵学者・由井正雪(ゆいしょうせつ)でした。

1651年「慶安(けいあん)の変」は、幕府に不満を持つ牢人たちを率いて江戸城を焼き討ちする計画でした。

しかし、密告者によってクーデターは失敗に終わります。

 

武力を背景にした強圧的な「武断政治」を見直し、江戸中期に「文治政治(ぶんちせいじ)」へと転換します。

 

文治政治とは、「」で「治(お)める」ということ、学問教養(とくに儒教)を尊重して、法律制度によって世の中を支配する政治のことなのです。

 

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4代家綱殉死(じゅんし)禁止します。

当時、主君が死んだあとに家臣が後を追って死ぬという風習があり、これを殉死といいます。

主君の後を追って死ぬことは、強い主従関係を示す姿勢で、これを推奨する部分がありましたが、この考え方を禁止し、命の大切さを広めていきます。

 

最初の政策は、1651年の「末期(まつご)養子の禁」の和です。

 

江戸時代、大名が後継ぎを決めずに場合は、改易(領地取り上げ)となります。

 

幕府は50歳以下の大名について、末期養子を認めるように緩和しました。

 

これで後継ぎによる改易リスクが減り、みんなが喜ぶよい政治の始まりとされます。

 

 === ここまで約340字です ===

 

関連記事の紹介

末期養子(まつごようし)といえば?

江戸時代、大名が後継ぎを決めるときは、事前に幕府に届出をして許可をもらう必要があり、もし後継ぎが決まらないまま大名が死んだ場合は、改易(領地取り上げ)となりました。

そこで、跡継ぎのいない大名が、死ぬ直前になって養子縁組をして跡をつがせることを末期養子といいます。

しかし、江戸時代の初期は、この「末期養子」を禁じていました。

末期養子を認めれば、例えば藩主乗っ取りをたくらむ家臣が、主人が死んだ後、自分に都合のよい養子を取らせる可能を防ぐためです。

文治政治では、幕府は50歳以下の大名については、「末期養子の禁」を緩和することで、大名は家の断絶を防げ、後継ぎを決める際の自由度も向上し、改易のリスクが減ることになりました。

この「末期養子の禁」の緩和が、みんなが喜ぶよい政治の始まりとされます。

 
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まとめ

会社や集会などでスピーチに困ったことはありませんか?

人前で話すことが苦手な人に、1分間(300字)で話せるおすすめの雑学ネタを紹介しています。

1分間に話す文字数の目安は300字と言われています。スピーチが不慣れな人は、300字よりも少なめの文字数で準備し、落ち着いて少しゆっくり目に話されることをお勧めします。3分間スピーチの場合は、その約3倍の900字が目安になります。よろしかったらご参考にしてみてください。くれぐれも時間厳守でスピーチ頑張ってください。 

最後までご覧くださいましてありがとうございました。
次回もよろしくです。